ゆるゆる記録

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今、思うこと

かなーりお久しぶりです。

記録をとるのをやめてから色々とあったりして、忙しい日々のなかブログを続ける余裕がなくなり、

そして、コロナにより色々と生活が変わってしまった今。


価値観が変わって、自分はどうしていくべきなのか凄く、凄く考えてきました。


久しぶりにブログを開いたのは

今、とにかく苦しくて哀しみが心を支配していて、


記録としてと、自分への言い聞かせと。

手書きの日記を書いているんだけど

誰かがこれをみて少しでも何か思う事があればと

あえてブログに残してみる。



今のこの苦しみはもう10年目で、


先週それが大きくなった。


みんなから愛される方が亡くなったこと。そして自死であること。


ここのところ続いていたけど、

好きな俳優さんであったってことと、

昔の出来事とかぶることがあったということ。




彼の家庭環境と

容姿、そして周りに言わずに突然居なくなって

自宅で自分で選んだ最期




まだ20代前半の頃


世界で一番好きな人


あんなに好きだったのに

どうして最期会わなかったのか。




悔やんでも悔やみきれなくて



そのそぶりを口にすることはなくて

皆が、なぜ?と思った。


彼も未来へ向かって勉強もして

これからという時で、震災が起きて

日本中が絶望の中だった。


あの時、連絡をくれて

そこから連絡を少し取った。



震災から一ヶ月後の4月


会えないか?

という言葉に心が揺れて

5年近く一緒にいて

別れたり戻ったりしていた私達

沢山考えて考えて本当の気持ちで応えられなくて


彼の誕生日の次の日



最後、

彼が遺したのは私からのメールだけでした。

SNSは削除されていて、遺書もなかった。

警察の人にも色々聞かれたけど

泣きじゃくる私に最後はしつこく聞いてくることもなかった。


絶望でした。


自分の中の時が止まって


生きている心地がしなかった。


自分を責め続けて

私は毎日ずっと泣いて自分の判断に自信を無くしていった。


周りに支えられながら時に苦しんで

あの時ああだったら、

こうしていたら

タラレバばかりで

大好きだったのに

私が生きてる意味とは?を投げかけて

それでもここまで

自分なりに生きてきた。


そして、思い悩んでいる人を増やしたくなくて

周りや知り合いに辛い想いをしてるひとが居ると

いても立ってもいられなかった。




先週ニュースを見た時に

フラッシュバックして



すこしずつ動いていた心の時計が


また止まってしまった。


他人なのに重なってしまう。

ネットニュースみちゃったりするとより悲しくなる。だから見ないことにした。


だけど、頭の中は


どうして?

なぜ?


どれだけ辛かったの?


9年間考えていたことがより強くなってく。


全てにおいて恵まれたように見えて

苦しみに支配されていたのか、


葬儀の際、彼のお母さんは

本当に貴方の事が大好きだったんだと思う

と私の事を責める事もしなかった

私は自分を責めてきた。


コロナ禍で自分がここまで生きてきたこと

考えさせられた事があった。


もしかしたら、私のことなんて好きじゃなかったんじゃないか、とか

そしたらより自分の存在理由に悩んでしまったりして。


キリがなくて。



ただ


憶測で誰かや自分を責めたところで


応えは本人自身しか知らないこと。


そして

自死は苦しみしか生まれない。


とても哀しいことだし、

良しとしてしまうのは違うと思うけど


ただ、強く、強く願っているのは


魂がもし本当にあるとするならば

あの世とかあるとするならば

哀しみのままずっといてないで。


いつか笑顔でいて。



せめて救われていて。


また生まれ変わって

生まれ変わらないとしても

苦しみの中にいないでいて。

苦しみはこの世界だけで。



そして遺された人達はこの苦しみの中でも

助けて合って

喜びを幸せを見つけて欲しい。



確かに私は苦しんできた。

自分への戒めもしてきた。

だけど、幸せと思える事もあった。

こうやって今、不満がありながらも

誰かに喜ばれる仕事をしていたり

家を少しでも支える事ができたりしている。


微力ながら

同じ想いで苦しまないヒトがでないよう

自分のできることを。


誰かを思いやれることを。


誰かを自分を責めるんじゃなくて

痛めつけるんじゃなくて


辛い時は泣いて

苦しみは長く

辛い思いの方が遥かに多い。

その中にある小さいちょっとした事が

幸せになって、いつか夜は

闇は明ける。

そして光の中

また闇は来る

けどまた光差すと願っているし、そうだと思っています。



沖縄の空で浮かぶ風船


この9年の中でも幸せな瞬間だった時もある。



死にたいと思う瞬間もあった。



だけど、幸せを感じた時に

誰かが同じ思いをするならば


今を未来を生きるしかないと思った。


どっちにしても

いつ何で死ぬかなんて分からない。


コロナかもしれないし、

明日心臓発作起こすかもしれないし

事故に遭うかもしれない、


それだったら、

誰かの為に生きる事も悪くない。


いつか自分の為になるんだ



そう信じて



誰もいないなら

誰かの為に生きようと思うと

1人ではないと感じる時が来るはず


そしたら苦しみも哀しみも時間と共に。